読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

リハビリの一環

ブログを始めて閉じる、ということを僕は何度も繰り返してきた。

ブログが流行る前はYahoo!ジオシティーズでホームページを作っていた。中学1年生くらいの頃に3つくらいはロクに更新のないスカスカのホームページを持っていた(初めて作ったホームページは、トップページに入ると虹色の『ようこそ!』が踊り『機甲戦記ドラグナー』のOP曲のやたらにファンキーなMIDIが鳴る、かなり最悪のページだった)。

ライブドアブログが流行すると、いくつもブログを作った。話のネタになるほど面白い生活をしていたわけでもないので過剰に脚色した日記を書いたり、ただモノクロにしただけの雑な写真を載せてみたり(当時は本気でカッコいいと思っていた)、「良かった」「悪かった」「まあまあだった」くらいしか内容のない小説・音楽のレビューをしたり、小説やポエムを載せていたこともあった。

どれもすぐに閉じた。大体途中で書くことがなくなるし(書くためにネタを仕入れるほどの情熱はなかった)、推敲もせず勢いで書くが後で読み返してみても全く面白くなくて、恥ずかしくなって消す。こういう記憶は大体「なかったことにしたい記憶」なので、詳細はもうほとんど覚えてない。

思えば、僕は継続的に何かをやるということが本当に苦手だ。

小学生の頃のサッカークラブは1年で辞めた。好きで通ったドラム教室もやはり確か1年くらいだったと思う。勉強の計画をその通りに遂行できたことはただの一度だってないし、空手に至っては1回しか行っていない。

だから多分このブログも同じ運命を辿ることになる。もうこうなってくると意思の問題ではなく人生の習慣として刻み込まれてしまっているので、こういうものとして受け入れてやっていくしかないのだと思う。

 

それにしても、ブログをやるのはかなり久しぶりだ。大学生の頃は先述した小説やポエムを載せるブログを持っていたが、それは当時所属していた文芸サークルで書いたものを転載していただけなので、ブログの編集画面を開いて文字を打つのは、多分10年ぶりくらいなのではないかと思う。

mixitwitterをやっていたからブログをやる必要がなかったというのも理由の一つではあるが、その頃から洗練された面白いブログが沢山増えてきて、自分がブログをやることに気後れしていたということも大きな理由としてあるのではないかと思う。SNSで手軽な文章を書ける今、あえてブログをやる人間にはブログをやる明確な理由が求められるし、それを乗り越えて書かれたブログは大体面白い。傾向の違いはあっても大体どれも高い水準にあるし、読み応えがあって独創的でユーモラスで、金をとれるレベルのすごいものばかりだ。

すごいものばかり、というのは何もブログに限った話ではない。SoundCloudにはびっくりするくらいクオリティの高い音楽が沢山あるし、ニコニコ動画のランキングにある動画では3Dの異常に綺麗な初音ミクがヌルヌルと動いているし、pixivにはめちゃくちゃ上手い(そしてニッチな性的嗜好を満たせる素晴らしい)絵が沢山並んでいる。何かを手軽に始めるにはハードルが高い時代だなぁと思う(「自分がやりたいならそれでいいじゃないか、人の目なんか気にするな!」というスタンスは僕は取れないし取りたくない。それが出来ないからみんなつらいのだ)。

それでもこうしてブログを作ったのは、続かないなら続かないなりに、下手なら下手なりにそういった人のやり方があるのではないかという気持ちがあるからである。

最近はすっかりクラブ文化にはまり、DJやremix、マッシュアップ制作などをやっているが(気づけばDJを始めて3年半も経っている)、技術に関しては残念ながら特筆すべきものは何一つとして身につけられていない。お金を払ってイベントに来てもらっている身として、あまり大きな声では言えないが、正直下手である。それでも下手なりに、むしろ下手だからこそ他の人が採らない選択をすることが出来るのではないか、あるいは下手であるという立場を逆手に取ったやり方があるのではないかと思っているし、そういうモチベーションで曲も作っている(waniwaveさんが「反スキル主義」という言葉を使っていたが、僕はこういう意味で解釈している)。

そういうわけで、上に書いたような考えを今一度ブログにも援用してみようではないかという試みがこのブログというわけである。多分続かないし、twitterで流れてくる面白いブログみたいなものには出来ないけど、このブログはリハビリの一環なのでそれでいいのだ。